LOGIN金色の炎は、小食堂に置かれたすべての燭台を一斉に包んだ。
炎は高く燃えているにもかかわらず、蝋燭を溶かすことも、近くにある布を焦がすこともない。夜明けを迎えた室内が、もう一度朝日を招き入れたように明るくなる。
エララとケイルの胸に刻まれた誓紋は、同じ速さで脈打っていた。
互いの心臓まで一つになったような感覚に、エララは思わず胸元を押さえる。痛みはない。けれど、自分の内側へ他人の鼓動が存在するというのは、安心と不安を同時に呼び起こす、ひどく奇妙なものだった。
「ケイル、何か感じますか」
「お前の鼓動が、先ほどよりはっきり聞こえる。それと、腹が減っていることも伝わる」
「そのようなことまで分かるのですか」
「自分の空腹ではない感覚が混じっている。お前のものだろう」
「先ほどから食べています。あなたの空腹ではありませんか」
「
第41話 刻印に残された声公開裁問が終わってから二刻ほど経った頃、皇城の北棟にある診療室は、薬草の青臭さと消毒用の酒精が混じった匂いに満たされていた。エララは窓際の長椅子に腰掛け、リナが用意した蜂蜜入りの温かな茶を両手で包んでいた。広場では気力だけで立ち続けられたものの、皇城へ戻った途端、手足の芯まで冷え切っていることに気づいたのだ。誓約の糸を見続けた目には鈍い痛みが残り、視界の端には、存在しない銀色の光が何度も瞬いている。向かいに立つケイルは、そんなエララを腕組みしたまま見下ろしていた。椅子へ座るよう勧めても動こうとせず、茶を半分飲むまでは調査を始めさせないと言い張っている。「もう十分に飲みました」「半分にも届いていない」「先ほどから量ばかり見ていますが、私の顔も見てください。倒れそうに見えますか」「倒れそうな人間ほど、自分は倒れないという顔をする。お前の場合は特に信用できない」「以前より慎重になったつもりです」「以前が無謀すぎただけだ。死にかけるまで力を使っていた者が、倒れる寸前で止まれるようになったからといって、慎重とは呼ばない」痛いところを突かれ、エララは反論できなくなった。仕方なく茶へ口をつけると、蜂蜜の甘さの奥に眠り草の苦味が混じっていることに気づく。リナへ目を向けると、彼女は診療器具を並べながら、何も知らないという顔で視線を逸らした。「リナ、これに何を入れましたか」「蜂蜜と、ほんの少しの眠り草でございます。主治医の許可はいただいております」「これから刻印を調べると知っていますよね」「だからこそです。調査が終わったあと、皇后陛下が素直にお休みになるとは思えませんので、先に準備いたしました」「まだ戴冠していませんから、皇后ではありません」「では、陛下が人前で何度も妻と呼んでおられる方、とお呼びいたしましょうか」ケイルが満足げに頷いたため、エララは茶器の向こうへ顔を隠した。リナは真面目な顔を保っているものの、口元だけがわずかに緩んでいる。裁問の最中は張り詰めていた彼女も、エララが無事に
第40話 偽りの番が暴くものかつてルシアンが運命の証として掲げていた、偽りの番の刻印。セラン司教の手首に浮かんだ紋様は、細部まで同じではなかった。ルシアンの刻印が二つの魂を結ぶように装っていたのに対し、こちらは何本もの黒い糸を銀色の枠へ無理やり押し込み、ひとつの印に見せかけている。それでも、自然に生まれた絆には決して存在しない不均衡と、他人の意思を削って形を保つ歪さは酷似していた。エララが見間違えるはずはなかった。一度目の人生で彼女を縛り、二度目の人生でもなお追いすがってきた偽物と、同じ思想から作られたものだった。「その刻印を、どこで手に入れたのですか」エララが尋ねると、セランは反射的に右腕を背後へ隠した。ほんの少し前まで、毒を使った裁問の証拠さえ冷静に否定していた男とは思えないほど、露骨な動きだった。「何のことでしょう。私の腕にあるのは、高位聖職者が神へ忠誠を捧げる際に授かる聖印です。部外者に説明する義務はございません」「忠誠の証であれば、なぜ隠すのです」「肌を人前にさらさないことも聖職者の礼節です。まして、あなたは教会の教義を歪めて解釈し、誓約へ干渉する異端の術を用いたばかりでしょう。私が警戒するのは当然ではありませんか」否定の言葉は滑らかだったが、セランの袖の内側では黒と銀の糸が絶えず蠢いていた。刻印は心臓へ根を張るだけでなく、首筋から頭部へ細い糸を伸ばし、彼が何を見て、何を恐れ、どの言葉を選ぶのかまで探るように明滅している。それは伴侶同士を結ぶ印ではない。誰かを愛するためのものでもなければ、信仰を支えるためのものでもない。刻印を授けた者が、離れた場所から人間を動かすための手綱だった。ケイルもセランの異変を察したらしく、エララの腰へ回していた腕を解くと、彼女を庇う位置へ半歩進んだ。「袖を上げろ」「竜皇陛下といえど、教会の司教へそのような命令を下す権限はございません」「ならば命令ではなく、被疑者に対する要求だ。お前の馬車から毒薬と偽造された裁問記録が見つかり、お前の血で結ばれた強制誓約まで押収された。これ以上、聖職者の立場だけで守られる
第39話 奇跡ではなく、治療によって「すべて話します。教会がこの裁問のために何を用意し、誰を犠牲にするつもりだったのか、私が知っていることを、今度こそ自分の言葉で証言します」ラウルの声はひどく掠れていたが、広場を満たしていた人々のざわめきは、誰かに命じられたわけでもないのに静まっていった。彼の喉には、つい先ほどまで命を締め上げていた黒い誓約の痕が、細い指のような紫色の腫れとなって残っている。その痛ましさは、彼が何かを恐れていることを隠さなかったが、それでもラウルは俯かず、裁問台の向こうに立つセラン司教を正面から見据えていた。「罪人の証言に価値はありません」セランは即座に言い切った。声は落ち着いていたものの、聖杖を握る右手には普段より深く力が入り、白い革手袋の表面に細かな皺が寄っている。「ラウル助祭は、教会から授けられた誓約を自ら破棄し、異端の力に身を委ねました。彼が今から口にする言葉は、竜皇国に迎合するための偽証であり、信仰を捨てた者が自分の罪を軽くしようとする浅ましい弁明にすぎません」「それはずいぶん便利な理屈だな」ケイルがエララの傍らから動かないまま、低く応じた。彼はラウルに向けていた警戒を緩めてはいなかったが、証言を始める前から証人を偽者と決めつけた司教に対し、隠す気のない不快感を示していた。「教会の命令に従っている間は清廉な聖職者で、都合の悪いことを話そうとした途端に罪人になるのか。お前たちの信仰は、随分と忙しく正しさを着替えるらしい」「陛下には、聖職者の戒律をご理解いただけないのでしょう。信仰には、世俗の法では測れない秩序がございます」「理解するつもりはある。だが、子どもに毒を飲ませ、母親の声を誓約で奪い、仲間の司祭まで口封じの誓いで殺そうとする秩序なら、理解したうえで踏み潰す」ケイルの言葉に呼応するように、広場の外周を固める竜皇国兵たちの鎧が鳴った。教会騎士も剣の柄に手を置き、両者の間に張り詰めた空気が走る。ほんの一人が抜剣すれば、公開裁問の広場が戦場へ変わりかねない。エララは、ケイルの袖を指先で軽くつまんだ。「踏み潰すのは、証言と証拠を確認し
若い司祭が石床へ倒れた瞬間、周囲にいた聖職者たちは助け起こすどころか、怯えたように後ずさった。 胸元から引きちぎりかけた聖印が鎖にぶら下がり、石へぶつかって乾いた音を立てている。司祭は両手で喉を押さえ、呼吸を求めて口を開いていたが、声も空気もほとんど通っていない。顔色は見る間に青ざめ、こめかみから浮き出た血管が不自然に脈打っていた。「道を空けてください!」 エララが駆け寄ろうとすると、握られたままだった手が強く引かれた。「待て。ミリアの誓約より危険に見える」 ケイルはエララを自分の背後へ庇いながら、倒れた司祭とセヴランを交互に見た。「危険だからこそ急がなければなりません。このままでは心臓が止まります」「おまえまで巻き込まれたら、誰があの糸をほどく」「では、一緒に来てください。一人で触らなければ、あなたも少しは安心できるでしょう」「その言い方は卑怯だな」「妻を一人にしないと、先ほどご自分でおっしゃいました」 ケイルは苦い顔をしたものの、手を離さず、エララとともに若い司祭のそばへ向かった。 教会側から、年長の司祭が二人進み出る。そのうち一人が倒れた若者の肩へ触れようとしたため、ケイルは空いた手で腕を払いのけた。「触るな」「ラウル司祭は我々の同胞です。教会の治療所へ運びます」「広場を封鎖しておきながら、どこへ運ぶつもりだ。しかも、おまえたちはこいつが倒れるまで一歩も動かなかった」「突然のことで、驚いただけです」「では、そこで驚いたまま立っていろ。近衛兵、この二人を下がらせろ」 年長の司祭たちは抗議したが、近衛兵に進路を塞がれると、それ以上は近づけなかった。助けるために急いでいるというより、ラウルと呼ばれた若者をエララから引き離したがっているように見える。 エララは膝をつき、ラウルの首筋へ指を当てた。脈は速く、二度、三度と続いたあと、長く途切れる。胸もわずかにしか動いていない。「ヘルマン先生、こちらへ来てください!」「今すぐ参ります。エステル先生、エマ嬢を頼みますぞ」 ヘルマンは少女の治療をエステルへ任せ、薬
第37話 北の民は聖女を見捨てない 教会騎士団長の合図を受け、広場の各所に配置されていた騎士たちが一斉に動き始めた。 最初に押さえられたのは、城下町へ通じる南側の門だった。白銀の盾を持つ騎士たちが横一列に並び、外へ出ようとしていた人々を広場の内側へ押し戻す。続いて東西の回廊が閉ざされ、城門へ続く北側の階段にも、抜き身の剣を持った騎士が立った。 裁問を見届けるために集まっていた人々は、何が始まったのか理解できず、互いにぶつかりながら足を止めた。露店の籠が倒れ、床へ転がった林檎が人々の靴に踏み潰される。甘酸っぱい匂いが漂う中、泣き出した子供を抱えた母親が出口へ向かおうとしたが、教会騎士の盾に阻まれた。「通してください。この子は裁問など見たくないと言ったのに、私が連れてきてしまったんです。もう帰りますから、どうか……」「広場から出ることは許されない。裁問が終了するまで、その場へ戻れ」「終了したと、今しがた司教様がおっしゃったではありませんか」「命令に従え」 騎士は子供へ剣を向けこそしなかったものの、盾を退けようともしなかった。母親は怯えた子供を胸へ抱き寄せ、人垣の中へ戻っていく。「何のつもりだ」 ケイルの声が広場を震わせた。 竜皇国の近衛兵も動き、裁問台と観衆の間へ防衛線を作る。しかし、広場には数百人の民が残されており、教会騎士と正面から衝突すれば、最初に巻き込まれるのは武器を持たない者たちだった。「今すぐ門を開けさせろ。ここは竜皇国の皇都であり、おまえたちが勝手に民の出入りを禁じてよい場所ではない」 ケイルが命じても、教会騎士団長はセヴランの指示を待つように動かなかった。セヴランは法衣の乱れを整えると、混乱する人々を見渡してから答える。「証人であるベルン司祭医が不当に拘束され、裁問の記録まで改められようとしています。証拠や証言が持ち出されることを防ぎ、公正な裁定を守るため、広場を一時的に閉鎖しました」「公正な裁定を守るために、外国の騎士が俺の国の民を監禁するのか」「教会使節には、信仰に
第36話 病人を作る者たち 正午を告げる鐘が鳴り終わっても、記録官の羽根筆は羊皮紙へ触れなかった。墨を含んだ先端から黒い雫が落ち、まだ何も書かれていない欄へ小さな染みを作っている。「聞こえませんでしたか」 セヴランが重ねて命じた。「被裁問者が治癒の奇跡を拒み、条件で禁じられた薬を使用した事実を記録しなさい。あなたの役目は、個人的な感情を差し挟むことではありません」「しかし、司教様……」「記録しろと申し上げています」 記録官は震える手で筆を下ろそうとした。その手首を掴んだ者はいなかったが、筆先が羊皮紙へ触れる直前、エララが静かに声をかけた。「書くのであれば、その前に裁問条件を最初から最後まで読み上げてください」「すでに何度も確認しました」 セヴランが苛立ちを隠さず答えた。「いいえ。あなたが都合よく切り取った箇所だけです。治療方法についての条件を記録するなら、患者の同意についても同じ記録へ残さなければ、公正とは言えないでしょう」 エララは記録官の前に置かれた羊皮紙を指し示した。教会と竜皇国が事前に交わした裁問条件には、両者の署名と封蝋が並んでいる。その周囲には、契約が結ばれたときには存在しなかった黒い糸が浮かんでいた。 糸はセヴランの署名から生まれ、患者の選定と家族の同意を定めた部分へ絡みついている。誓約の言葉と実際に行われたことが食い違い、契約そのものが内側から腐り始めているのだ。 エララにしか見えないとしても、そこへ至る証拠は、すでに人々の前へ並んでいた。「記録官、患者の同意に関する条項を読んでください」 男はセヴランとケイルを見比べたあと、覚悟を決めたように羊皮紙を持ち上げた。「第五項、患者本人が意思を示せない場合、親権を持つ家族の自由な同意を必要とする。教会ならびに竜皇国は、脅迫、買収、債務、身分上の優越、その他の手段を用いて、患者または家族へ参加を強制してはならない……と、記されております」 広場に再びざわめきが起こ